utena music field のこれから

2020年5月の東京での仕事から、utena music field は枝葉をおとして本質的なところを生かし、人様のところに「音楽プロセス体験」としてのドローイングを受け入れてもらえるように、少しいろいろ工夫して変えていくことにした。

年末からウンウンうなりながら、音楽ワークショップとしての再出発とだいたいの骨格は決まってきた。
で、今回東京で参加していただいた皆さんにも新しいパンフレットをお渡ししたのだけど、HPのほうがおいついてってない。突貫工事中。

リテラシー以外の講座はWS(ワークショップ)に。
下のボタンをクリックすると、PDFでダウンロードできます。すでに以前の記事からダウンロードかたは、同じものです。

研究コースは実はもう始まっている

まだ決めかねているのが研究コース。
どう運営するか、経済のあり方は?

発展プログラムを終えた人たちからの報告

でも、実はもう研究コースは内実としては始まっている。実感としては、かなりもう動き始めてる感じがする。発展プログラムに全行程参加した人たちから、報告や、考察内容が届くたびに、驚いている。私の手を離れて、その人が使い始めている感じが、ひしひしと伝わってくる。ネットに上げて頂いてるものもおお!!ってかんじだし、突然メールやラインで届くものもその時の飾らない驚きが生き生きしてて、すごいなあと思う。

例えば、

音楽教室での、生徒さんたちとの細やかで配慮の行き届いたやりとりと、ドローイング前と後の様子。長期的な活用での生徒さんの音楽への感じ方の変化。

自分の演奏に向き合っていくプロセスで、自分で考察したり、私といろいろやりとりする中でドローイングしながら、模索している様子。

音楽、という多相的な体系をもつものに、どんなふうに自分が関わっていくのか、何が変わればなにが見えてくるか。問いの発見。

こうなってくるともう、「私がお教えします。」という領域を超えてきてる。
これは発展プログラムの成果。
utena drawing ってどういうことか、その立体的な仕組みがきちんと入ってってくれてるから、自分で動かしてけるんだな。もちろん、わかって終わり、ではなくて、そこでまた対話というのは欠かせないから、私の役目は聞き手としてそこに有るわけなんだけど。

問いかけが体系化に結びついてきた

いつもそうなんだけれども、発展プログラムというのも自分の意志だけではじめたわけではない。

「どのくらい受けたら、谷中さんの言いたいことが伝わる?」

という問いかけから生まれたもの。結局そういう流れが大事なんだなと思う。尋ねられたことには真顔で向き合いたい。そういう問いかけがもしなかったら、今のような体系的な理論も浮き出して来られなかった。伝えたいという思い、理解したいという思いが双方で作用して初めて、生きたものが生まれてくる。
これからも、そう有りたいし、そう有るべきと思っている。

(発展プログラムは少しボリュームアップして発展コースとなります。)

さて、考えていかないといけないのが、研究コース。これも、積み上がったことに押されて生まれてくるものをどうサポートしていくか。

「音楽プロセス体験」メソッドの心臓

研究コース、実は、一度少し初めてみて、あ、このままじゃ発展プログラムと同じ、と思って、一度やめていたもの。あのときは、理論のさらに背景を掘ってみようとしたのだけれど。研究コースとして必要のはどうもそういうことじゃない、と思って。

あれから数年を経て、数年前に発展プログラムを受けた人たちが動き始めて、やっと、見えてきた気がする。
研究コースというのは、発展プログラムの皆さんから届く便りのように、変わり始めた体験を集成して、理論にとどまっていたものを実体験から、さらに体系だったものにしていく場、と今は考えている。

「音楽プロセス体験」というメソッドにはこれが完成形、なんてのはないと思ってるんだけれども、だからこそクオリティの維持(なにがクオリティかということがまた共有の難しいところ。そしていがいがあるところ)が必要で、それは、私は対話だと思ってる。いわば、いきものとしての心臓部分が研究コース。

(ここで、メソッド、というのはすごんでるつもりではなくて、個々人の「音楽プロセス体験」と理論としての「音楽プロセス体験」を分けておくために)

仕事と理念のバランス

この前の愛媛でのワークのときに、一回り年上の参加者さんに

「年令を重ねてくると、体力も気力もおちてくる、そういうもの。やれることって限られてくるから、本当に自分のしたいことをしたほうがいい、そのために、なにを自分はしたいのかよく考えて見るべきで、いらないものは手放していいのよ。」と諭されて、おもわず、聞き入って本当にそのとおりだと思い「はい」とお答えした。

それから、ずっと、何を手放して何を掴んでいくか、と自問している。
私は、ピアノ教室も好きだし、そこでやっていることと、ここでやっていることはかならずつながってもいると思っている。けれど、いつまでも両方もできないのかも。理念のほうを伝えようとしたら、教室は縮小せざるを得ない。そのくらい思いきらないと、研究コースなど、とてもできるものじゃないというのはわかっている。その思いはある。

そうしたときの、私の収入源としての、「音楽プロセス体験」メソッド。


発展プログラマム改め発展コースまでは、たしかに私の仕事、といえる。

でも研究コースを自分が牛耳るのはどうも違う気もする。

ありがちな発想として、資格化して、先生を中心としたグループをつくる、みたいなこと。そういうのは多分とっても向かない。それに、そういう意味での研究コースならいらないと思う。

でも、しょうじきなところ、そこでなにがしかの収入も得られなければ、自活が難しいのも事実。趣味ではできない。とっても現実的でどろくさいところだけれども。

この研究コースは、社会に対して、音楽プロセス体験がどのような開き方、閉じ方をしていくか、という問題と切っても切り離せない、ということ。ただ、ここを生み出さないと、霧散していくだろうということも考える。いずれにしても私一人ではどうしようもない領域にはいっていて、一緒に考えてくれる仲間が必要だ。

音楽プロセス体験が生きる場所に届くこと

私は「音楽プロセス体験」はどこか普遍的なものをめざすのではなくて、具体的な生活の中に如何に根を張っていくか、ということの方にうんと興味があるし、だからこそやってみようと思っている。

音楽プロセス体験が生きる場所として、1つ想定できるのは、音楽教室。ぜひぜひ生かしてほしい、というか、音楽教室の存在意義から変わっていってほしい。私自身も変わりたいし変えていきたい。音楽がもしも将来荒廃してしまうことがあったら、それはもう人類としての危機に違いないと思うから。

でも、それだけではない、という気もしてる。
では、どこ?
わからない、それを掘り下げてくれる人がいたら、ぜひ聞きたい。
その可能性もあるから、だから如何に開放していくか、ということもかんがえにいれておかないと、と思う。

見切り発車になるけれども

そんなわけで、まだ研究コースに関して、具体的にどんな形をとっていくことになるのか、ほかのWSのようには、まだ決定的なことが言えない。言えないけれども発展コースは研究コースを前提に考えています。

もう少し楽しいところで考えていることは、例えば年に一回とかみんなで集まってああでもないこうでもない、と、集中的に、やってみる。それぞれが自分の立ち位置からいろいろ 関連付けて発表する、とか。そういう事も考えててわくわくする。

ということで、まだほんとには生まれていない研究コースなのだけれども、
その存在は記しておきたいので、音楽プロセス体験のWSに記載しておくことにした。

そして、発展コース(プログラム)修了証を持っている人も
音楽プロセス体験の根本的な理念や実感を共有しておくために
発展コース内容のもの

グループワーク・プライベートワーク

を少なくとも年に1度は受けていただくことを
研究コース参加の条件とさせていただくことにした。


もちろん研究コースは目的とせず発展コースだけに参加していただくことも、おおいに歓迎です。
多分研究コースは相当物好きの集まりになります。

煮え切らないなあ、と思われそうですがこれをもって現時点で研究コースのご案内とさせていただきます。