数学と音楽の、体験、という共通の現場

音楽も数学も、同じだ。
一つの大きな叡智ではあるけれども、そこには、人類の長い歴史の中の具体的な一人ひとりの問いと発見の驚きがあり、それを次の人が使いこなして道具とし、また新たな問いと欲求が折り重なり、そうして幾層にも折りたたまれ、作用し合うものの複合体である、ということにおいて。

そこには生きた人間の「体験」がある。

音楽にも数学にも、一見クールな理論でも、そこには生き生きと何か息づいているものの 痕跡が残されている・・・・あー、数学に関しては・・・に違いない、としかいえないけれど、音楽は確かにそれがある。

私は以前に、日本人という枠と西洋音楽の間のなかなかうめられない「実体験」としての溝、それは音楽を教える身としては、本来クリアしておかなければならない溝なのに、それができないで うんうんとうなりながら、あれこれ本を読み散らかし、音楽に分け入り、問いが問を産みながら、過去と原体験と無意識とを旅していた。
ここに描き出されている数学の世界はあの頃の体験にとても近いと思えた。

だから、 音楽も数学も同じだったのだ!!とおもったのだ。

そしてこの著者は数学を体験し、それを読み手にも優しく提示する。俯瞰と内体験の両方を用いながら。

もちろん、先人たちの残した理論や楽曲そのものの価値は何ものにもかえがたい。けれど、そのときの彼らの体験。例えば、学校の授業の中で、その体験ごと理論が伝わるとしたら、生徒にとっても何かもっと別の大切なものが蓄積されるのではないだろうか?大人だって同じ。体験をはぎ落とされた理論、私たちはそういうものに慣れてしまっているけれど、体験が息を吹き返すことができるとしたら、絶対に私今度は数学好きになると思う。

数えることと直感すること

追記 2019.6月

よく講座で 3という数字を数えることと、3を俯瞰的に直感することの違いの話や、時間の中の3を左脳ではなく実感で体験することをドローイングで確かめたりする。
レッスンの中で、どうしても3という数字にひとが囚われてしまって動きにくくなっているときや、数える、という余計なロスが生まれていることを体験的にどう流していく、uetena drawingの方法をどう説明したらいいのか、と考えていたときに、この本から得たヒントは大きかった。またきちんと記事にあげよう。

数学する身体

数学する身体

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