スケール・カデンツという世にも美しいもの
スケールとカデンツは 音楽理論である前に、音楽を息づかせる大事な鍵、と思っている。
そして、これを子どもにさせるのは単純でつまらないだろうという大人の老婆心をよそに、子どもの心を捉えるものがある。
子供だけでなくて、私もこの世で一番きれいな音楽じゃないかと思うくらいだ。この究極のシンプルさから豊かな感情を引き出せること。基本っていうのはそれだけで美しいものなんだと思う。それは何においてもそうなんじゃないかな。例えば、布地が整っていれば、シャツの仕上がりもよいように。スケール・カデンツを感じる心があれば、布地は整ってくる、ということ。
だから、どんなに手間ひまかけても教えたい。楽しく教えたい。
コツは楽譜を使わないこと。自分の耳と心と指先で感じられるようにすること。本人の理解が進むまで急がないこと。子どもたちは目をつぶって私の手本をきき、鍵盤をあちこち触っておなじみのスケールやカデンツの音色を探し当てる。うまくイメージと実音が重なったときはそりゃ嬉しいに違いないと思う。曲がうまく弾けなくても、これが小さい内にできていたら結構それでいいんじゃないかと思うくらいだ。そうしたら中学校くらいで、自力でなんとか模索し始めるから。
大きくなって黒鍵が嫌いという子はうちにはいないし、例えば、ト長調からニ長調へ転調した時には、どんな子にも説明できる。一人ひとりに体感を伴った知識がそなわっているから。臨時記号がでてきたら、転調によるものか 、短調の導音か、借用か、という話をすることもある。面白がって聴いてくれる。転調だとあちこちにドの♯が散らばっているからそれを見つけるのも楽しい。
カデンツを基本に、応用のコードの話をすることもある。クラシックの曲でもsus4とか見つけると書いておいてあげる。いつか、つながっていけばいい。そんなパンくず的なものを時々落とすためにも、カデンツを知っておいてもらいたい。
スケール・カデンツを奏でる感覚とテクニックがそだてるもの
スケールとカデンツの効能は、理論の実感だけではない。小さいときから、ピアノを弾くための動作の基本的なものがそこにはすでに多く含まれている。例えば、
黒鍵への立体的な動き
親指を内側に旋回させてスラーで音を上・下行させるうごき
親指の付け根をリラックスさせて指を広げる動作。
手頸を固くさせないで、和音を繋く動き
また、これらのテクニックは音楽表現へのアプローチにほかならない。
フレーズの単位
スラーでつなげること
音の上がり下がりを感じること
ハーモニーへの関心
ペダルの導入
楽譜を見ないで一曲仕上げる癖をつける
これらを一切の理屈をこねないで、ただ、いろんな調のスケールとカデンツを繰り返し、パターンを変えながらやっていくことで、子どもたちは楽しく進めていってくれる。頼りは生徒自身の聴覚だ。自分の聴覚を受け身でなく使う訓練にもなる。これをやっておくと私も後々手取り足取り教えなくて済むので楽なのだ。(小さな子には両手のスケールはさせないこと。難しいことは、避けておいたほうがよい。慣れてくればいつの間にか弾けるようになっているものだし。)
教室での出来事
小学校4年の生徒はゆっくり半年ほどかけて、ハ長調の主要3和音 C G/B F/Cを個別にこんこんと学んだあと両手でカデンツが弾けるようになり、それに少しリズムを載せられるようになってきた。
むっちゃ面白いです、これ。
と彼はいう。彼の耳が響きを捉えているのは、聴いている私にも伝わってくる。他の調のカデンツも学び始めた。どんどん冒険が広がっていく感じ。
また別の生徒は ト長調のスケールとカデンツが合格し、次はニ長調。でも難しそうだから、「来週ね」というと
えー、おねがい、教えて!おねがい!練習するから。
まる覚えでなく、きちんと耳から入るように注意深く観察しながら、伝える。まあ、練習は期待してないけど。
勢いで弾くと手が思うように黒鍵を押せなくなるけれど、悪戦苦闘しながら弾けた時には、偉そうに威張った顔で私を見返してきた。
大人の場合、知識から学ぼうとしてしまう習慣が身についてしまっているから、なかなか子どものような訳にはいかない。その場合は、スケールの全音と半音の場所を確かめながら、まずはスケールというものを移動ド感覚で実感してもらうところから始める。でも、半音か全音かなんて考え始めたら、きっと音楽は難しくなってしまう、体験として無意識にいかに落とし込んいくか、がコツ。
そして私も、いつもその白い布地のようなスケールとカデンツを何度も繰り返す、繰り返すたび、まだ自分はそれを知らない、と思う。思えなくなったらつまらないとおもう。
今日は夕方、虹が出ていました。残念ながら、写真に収められず、数年前の写真を引っ張り出してきました。
虹とスケール・カデンツの共通点やいかに。