音楽をやっている人間として、目が見えないという感覚世界に対し少し人と違う関心をもっているかもしれない・・・
目の見える私達は、世界を判断するためにかなりの情報を目によって得ている。
けれど、目は視界から隠されたものを観ることはできないから、
例えば、合板に貼り付けた大理石のような壁紙にあっさり騙されたりする。
けれど聴覚は目とは違う情報をもってくるから、コンコンとその壁を叩いてみた時に、耳にはしっかりと合板の薄っぺらさをキャッチする。
視覚世界は私にとって、世界を把握するのになくてはならない感覚であると同時に、そのインパクトの強さに惑わされ、欺かれる感覚であるから、できるならいつも聴覚や時には嗅覚、触覚を結びつけながら、世界を立体的に包括的に捉えたいと思っている。
そして、いっそ、視覚、という感覚を取り払ってしまったらどうだろう。
「目が見えない人は世界をどう見ているか」という本では、見える人の感覚と見えない人の感覚を4本足の椅子と3本足の椅子に例えている。
4本足から考えると 3本足というのは欠けがある、だからサポートが必要、と考える。サポートは必要なときもあるけれども、そればっかりではない。3本足は3本足のバランスをもって立っている。4本足とは違うバランスを持っている。それは、4本足とは違った体験であり、その違いを 福祉という観点ではなく、生物学的に 味わってみよう、と。
そうすると聴覚オタクの私などは、見えない世界というのに、どこか憧れさえいだいているから、下手をすれば見えない人というのを、欠けというのとは逆の意味て特別視してしまいそうになるけれど、それも見える側からの勝手な押し付けである。
「特別視」ではなく「対等な関係」ですらなく「揺れ動く関係」
と著者は言う。
見えない世界、というのを生活のレベル、感覚のレベルどちらにおいても、見えない側からの一方的な思い込みではないところで もっと具体的に知ろうとするそのときに、自分自身に開いていく新しい世界。
この本にはそんな体験を呼び起こす事例が沢山あるので、興味のある人は是非。
光文社 (2015-04-16)
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音楽のプロセスを今より新鮮に味わっていこう、というワークショップをしている私にとって、最も興味深かったのは、「見えない人の見る行為」だった。
タイトルにあるように 見えない人も見ている。
私が掘り下げたいと思っているのは、視覚、聴覚 触覚 嗅覚 などの共有している なにか で、そのなにか によって 見えない人も見るという感覚を呼び起こすことができる に、ちがいない。
ただそこは 言葉にはできないね。
言葉、対話にもそれは必ず根底に流れているものだけれど。
ということでここは実践に深められたら、それで良し、ということで。
おとをみる かたちをきく からの引っ越し記事。
日付をみたら、去年の4月でした。
この本に紹介されていた 「ダイヤログ・イン・ザ・ダーク」幾つかの偶然が重なり、その6月には矢も盾もたまらず行ってきたのでした。その時の記事も残っているので明日あげたいと思っています。
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