あんたがたどこさ、ひごさ、ひごどこさ・・・
の「さ」のところで、手を生徒と合わせる。
はじめての子にはそのタイミングと場所が、ミソ。
わたしのほうは、音楽に合わせていたらまだ慣れない子どもは確実に遅れるから、歌いながら一瞬早く手を出して待っていてあげることで、子どもはちょうどのタイミングで、手を叩くことができる。
差し伸べる手の場所があまりに子どものほうにせまっていると、子どもは能動性を持てず、受け身になり、いつまでもタイミングを自分で覚えようとしない。だから、思わず体を乗り出すような場所で待つ。子どもの差し出した手を受け止めるときの手首の柔軟さが、叩きあった時の手の音色を決める。出来るだけ動きを濃いものにする。
いつしか子どもたちどうしでする時には、もうそれは別物になっていく、そういうものだし、それでいい。
ミュージックルームでやりとりされているのは、そうした水面下のささやかなことだけれど、単にうたとしぐさを覚える、というのではない「レッスン」としての意義があると思っている。あ、いや、本来子どもの遊びは、その濃さの質の中にあったはずなのだ。わたしは、単にわらべうたをつたえたいのではなくて、その質のほうをやりとりしたいとおもうのだ。
あんたがたどこさ
ひごさ ひごどこさ くまもとさ
くまもとどこさ せんばさ
せんばやまには たぬきがおってさ
それをりょうしが てっぽでうってさ
にてさ やいてさ くってさ
それをこのはで ちょいとかぶせ
(うまさで さっさ)