3年生が初めて取り組んだ 音高のワーク。

それはそれは楽しそうでした。

ここのところ色んな場面でかなり中心的にこのワークを取り入れてきたのですが、このグループワークでも応用してみました。

音の高さを音名で覚えるいわゆる音感教育と、このワークの違いは何かというと、表象の持ち方になると思います。

表象つまり像を結ぶ場所に、脳科学的にいうなら、音と言語野が結びついて「この音」と「ソ」という名前が結びつくこ、いわゆるラベリングといわれるものが今までの音感教育だと思うのですが、このワークは違うのです。

このワークでは、音楽の持っている関係性や構築性もそのマップに含んで音を把握していくので、そのときに触れる音には性格や質が最初から組み込まれています。音楽というフィールドのどこにその音を配置させるか、それを掴んで行きます。だから、名前は必要最小限でよい、ときにはなくて良い、むしろあすとじゃまになったりするものです。

音楽っていうのは結局その音の性格や質の連なりなのと、全体性あっての一音だということ。

その方向で模索していって、身体で音階をとるソルミゼーションとか、オイリュトミーとかでも応用してきましたが、実感に結びつくにはまだ、なにか不足しているから、そこに届かない、というもどかしさがありました。
そして、足りなさがなにであったか、というのも最近わかってきたようにおもいます。

身体だと遠すぎるのです。

まず内面で表象を結んでから、オイリュトミーなどやってみると、それはいきいきと感じられるんじゃないかと思います。

このワークの実用性はかなり確実になってきたなと思います。

実際音程取れ始めます。

でも例えばこうした画像を見て、真似をしてもあまり実用には結びつかないかもしれません。なにを描いているか、が大事なのではなくて、描いているひとが何を感じているか、それとやり取りをしながら、掴んでいくものだからです。

音高3年