雨女

東京で雨女(どちらかといえば荒れ気味)と言われる始末の私だけれども、自分的には、まあまあいいお天気に恵まれてるし、飛行機に乗れなかったということはないので、マシな方ではないかなと思う。今回は東京にいる間に折りたたみの傘を一度開いた。

最近はホテルが格安なのと、場所を定めてしまうほうが荷物の運搬が楽なので、大塚あたりでウロウロしてることが多い。

一日目にレッスンのあと、池袋・目白を散策。
一度見てみたかった フランク・ロイドライトの建築を訪ねたり、
立教大学の学食にいったり。

音楽と”なにか”が流れる方向

今年は、あまり今まで考えたこともなかった利他ということを仕切りに考えざるを得ない年だったと思う。利他というとちょっと違うのかな、人と人の間の”なにか”が流れていく方向性、とでも言うのかな。
利他、というのは、自分から相手に流れていくもんではなくて、向こうからやってくるものをどんなふうに受け入れ、消化していくか、そうして、自分と親和していくか、みたいな・・・結局それが絡まっていく自分を解いていく手助けになるはず。
哲学的とか、精神的、とかいう話ではなくて、音楽という現場でね、すごく具体的なことで。自分はこうだから、という壁の向こうにあるのは、音楽のもつ包容力で、そこからの情報をキャッチするために、今の自分の限界をまずはそれを知り、受け入れ受け止めて手放していくか。いや、そもそも自分の壁なんて見えやしないもので、でも、じつはそこからがやっとのスタート地点になるわけで。

それは、本来音楽が人と人の間にあるものである以上、受け止めていく必要がかならずあることなのだけれども、なかなか詰めにくいテーマでもある。無理に盛り込むことも出来ないし、それをやっちゃ、本当の深みから情報を汲み取ってくることができなくなるとおもうから、機が熟す、というのを待つしかないだろうと思ってきたところがある。

逆に、今はそれを無視できない、というほうが 近い感じがする。
講座でやっていくべきところは確実に的に近づいてきている手応えはある。けれどもそれはますます一言で伝えられないものになっていてもいる。最初の頃言っていたような、リズムがとれるようになります、とか音痴にも効果的、というような部分的なところ、パフォーマンスの向上に「音楽を描く」が外からアプローチして、特効薬のようにそれができたとしても、結局それが本当にその人の肥やしになるんだろうか、ここ、数年の悩みはそこだった。

その人の壁、あるいは不得手は、その人がそこに学ぶべき情報があるということで、それをそのまま見せていくことのほうが、きっと大事なことなんだな、と。
じゃあ、その情報をどうやって、その人は選択していけばいいのか。
そう、そこで、利他(という言葉が適当かどうかまだわからないけれども)が関わってくる。

そのへんの流れが少し見えてきた。
それは、確実に今回の講座にも盛り込まれてきていると思う。

個人的なところで、重い一年だった。それは、でも、ここへつながっていく。人生に無駄なことはひとつもないな、と思う。

行った講座はこちら

12月東京音楽を描く講座案内

*次回は2月8−13日の予定が決まっています。11日に描くと楽典講座
あとはまだ未定です。