「中世音楽の精神史」とアルテス・リベラーレス

noteのほうに 「音楽教室」がこれからこんなふうになっていったらいいなあ、というテーマで記事を書こうと思っている。

それで、じゃあ、西洋音楽の中で教育っていうのはどんなふうに始まって、どんな意味を持っていたのか、ということをもう一度おさらいしたくて、「中世音楽の精神史」を再読。


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そこで、アルテス・リベラーレスという言葉にであった。

アルテス・リベラーレスは、よく耳にする「リベラル・アート」の語源なのだそうだ。

中世当時、ものを学ぶシステムとして、自由七科、というものがあった。自由を手に入れるための7教科。
言葉の学問・トリヴィウムが3つ 文法 修辞学 弁証法
数の学問クヮドリヴィウムが4っつ 算術 幾何学 天文学 そして音楽

そしてこの自由七科のここに音楽、が絡んでくる。そして、この音楽ってのは数の方にはいる。
数、というとき、私達は無機質なものをイメージするけれども、なにか、もっと生々しいというか、なんか違うんじゃないかなと、思う。また、実際の音の高さの比率が音楽を構成する音高になっている理論などが、共有され、骨格としてしっかりとあったからこそ、西洋音楽はあれだけの構築性のあるものになっていったんだろうと思う。
この理論の中には ボエティウスが書いたという、3つの音楽「楽器の音楽」「身体の音楽」「天体の音楽」ということも含まれている。
そして音楽、というものの社会的位置づけは極めて大きかった、のだろうね。
今は、どうなんだろう。音楽ってなくても人間社会ってなりたつんかな。

ところで、トリヴィウムとクヮドリヴィウムという、この分類法は西洋の大学での アート とサイエンス の分類分けにかかわっていくことになるという記事もみつけた。
(ちょっと脱線だけど)

日本人の的外れな「リベラルアーツ論」 リベラルアーツとは何か(上) 山田順

本当のリベラルアーツを日本人は知らない。山田順

自由を得るための学問が、一般教養ではなく、基礎だ、という点
納得。

音楽を描く’をつかったレッスン

木曜日は、個人レッスンが4人でした。
それぞれ、その人の持っている感覚や、今音楽的に理解していることとできていないこと、が全然違っていて、どこをどのようにたどって、そこからほんの少し豊かさの方へ踏み出していけるか、ということも考えながら、前回のレッスンのことも思い出しながらやるので、立て続けに4人というのは、なかなかまだ不慣れもあってこなしきれていなかったかもしれない。

音程の不安定さは、どの人も確実に良くなっていると思います。
ちょっとずれると照れ笑いして修正できる。嬉しいなあ。
ここへ来て、歌う。声を出す。音楽を共有する。
まずはそこだから、私自身も先を急いじゃいけない、と自分に言い聞かせつつ、だな。
笑顔が見れたら嬉しい。


写真は、言葉の子音を使ったワーク。発音のタイミングや発音機構などを話し合いながらその人が自分の体感から動きをひきだすようにしてもらって描いてみた。