五感で学ぶ音楽講座「音楽を描く」

自分の声が空気を震わせるのも恥ずかしそうだった

レッスンを続けるうちに、音楽と自分との関わり方がつかめてくるのか、最初は自分の声が空気を震わせるのも恥ずかしそう、申し訳なさそうだった人も、やがて、鼻歌が自然に出てくるようになりました。
何かの拍子に鼻歌で自分の声を確かめながら、それも軽やかに楽しそうに歌っておられて、でもそれがいつ始まったのかわからない。
それくらい当たり前みたいに。
そんな光景にレッスンや講座の中でであえると、ああ、この仕事私ももっと続けたいな、いろんな人に届けたいな、と思います。
それは素敵な光景で、実は私もとっても嬉しいのだけど、その嬉しさはその人のためのもので、そっとしておきたい、なんて思いながら、でも、声かけちゃう。

こんなとき、音楽ってなんだろう、って思います。
そしてこれこそが音楽だろう、って。
それはどんな立派な演奏を鑑賞するのにも見劣りなんかしない、間違いのない芸術体験なんじゃないかな。

その人の体験や感覚が温まり、音楽がそこにやどり始める。
そうすると、その人の眠っていた感覚も相即して、動き始める。

音楽に体を合わせるのではなく、そのひとが 自分を知り、音楽を自分に引き寄せる。
音楽がそれに答える。

同じように音程感がつく、のでも、前者と後者では、実は全く別の体験なんじゃないか、と・・

 

年齢に関係なく、音痴は修正できると感じています。


最初は、音が外れると気持ちも一緒に縮んでるようだった人も、
そのうちに、少々違っていても、恥ずかしがらないで、声に出してみることができるようになりました。


自分の声が変で、身がすくむようなその気持ち、よくわかります。
私も時々突拍子もない声、でますもん。
音程もうまくとれないとき、きもちがうろうろしますもん。

でも、声がではじめたら、もう大丈夫。
その体験がフィードバックして、また、体感につながっていくので、声を出してみるっていうことも大事。
音楽を描くことで、表象を確実なものにし、それが聞くことをひろげ、 体験をひろげ、 その結果、今まで使ったことのない微細な筋肉も反応し始めるのかもしれません。
そうなるとスタートを切った感じで、あとは、修正し、きき、体感し、習慣化していく、ということで、これまで歌にたいして 後ろ向きだったものを取り返して行くことができるようです。
60歳をこえても、それは可能!なんですね。
私のほうが驚きですが、講座やレッスンの中で、それを実感しています。

結局、音痴(この言葉、抵抗あるのですが、検索上、必要な言葉なのでご容赦くださいね。)なのは、音程が取れないのは、身体的に欠陥があるわけではなく、きこえている音を体で受け止めることに不慣れなだけ、だったんだなと思います。

聞き方やその体感が変われば、うたも変わっていきます。

次は何を歌いましょうか。