感覚からそだてる音楽レッスン

レッスンの依頼は、ギターとフルートのアンサンブル、曲はボサノヴァのナンバー「イパネマの娘」

ポイントはふたつ。一つはボザノヴァのゆる感、
もう一つはセッションする二人のそれぞれの自由度を大切にしながら、そのゆる感を共有することだな、と、思った。

ボサノヴァについて

ボサノヴァは、コードもリズムもかなり高度な「くずし」の要素がある。それは、破壊ではなくて、元のしっかりした作りのものが風化して程よい色加減、使い勝手になっていってるような・・・・コードなんかは一番の基礎の基音が抜けてたり、4度の開離具合の積み重ねのゆる感だったり。リズムも当然入るだろう要の音を(当然あるものとして)抜いてるって感じが私はしている。くずし、というのはそういうかんじのこと。抜いてある音のところは、空間としてのこりつつの、独特なたゆたい感。結果、寄せては崩れる波の有機的な、ちょっと眠くなるような、力みのないリズムとハーモニーの下地ができる。その波とじゃれあうようにメロディーが重なる。・・・というのが私のボサノヴァの印象。

ボサノヴァは1950年代にブラジルで生まれた音楽、だそうな。
ボサノヴァの意味は、ポルトガル語で、Bossaが「新しい」 Novaが「隆起・こぶ」という意味で転じて新しい傾向とか新しい感覚、という意味らしい。
歌詞ももとは ポルトガル語。あれ、スペインじゃないの?と思ったら、ブラジルは植民地時代、カトリック教会のもと、ポルトガルとスペイン半分ずつで統治されていた、ということで、ボサボヴァを育んだリオデジャネイロやコパカバーナ、イパネマはポルトガル統治だったってことか。なるほど。

このポルトガル語、かわいい。もし、この曲歌えるもんなら、絶対言語でうたいたいなあ。私はどうもこのボサノヴァのゆる感は リャ、とかシェとかジュとか濁音の多い潤んだ発音と無関係とは思えないんだな。

イパネマの娘の冒頭が

オーリャ キ コイザ マィジュ リーンダ マシェー イェ ディ グラーラ

って歌うの。

愛らしい娘さんが通り過ぎるー、みたいな歌詞(らしい)のだけれど、なんかくすぐったいような柔らかさがあって。

歌の内容は 孤独と愛について、結構哲学的、かも、以外にも深いです。

イパネマの娘は1962年 ブラジルのアントニオ カルロス ジョビン の作曲 ポルトガル語の原詩はマルクス・ヴィニシウス・ダ・クルス・エ・メロ・モライス この詩にはモデルの女の子がいたらしいです。

ゆる感を掴む 音楽プロセス体験 音楽を描く

ゆる感だから、がっしり掴んではいけないわけで・・・
でも、崩れたケーキが残念ながら美味しそうに見えないように、互いが勝手気ままにしてたら崩壊するわけで・・・

こういう時のワークは 事前に曲の持っている雰囲気とか、リズムやハーモニーの構成、メロディラインの特徴なんかを掴んでおいて、レッスンのときの受講者の出来具合や技術的な様子なんかを拝見・拝聴してから動線を描く。私は私でそのイメージを掴むために動線を描くのだが、そやって事前に何かやっておいた動線は、大概、その場で相手と触れ合っているうちに アプローチ方法が変わってくるから、同じようにはならない。

それで、今回はお二人が几帳面に裏表を入れてセッションをしているのを一度解けるようにと思って、音楽の一番骨格になっているグルーブを描いた。リズムの特徴的な一点とか、ギターのハーモニーとフルートのライン、とかギターもベースラインだけを追っていく、ということを試していただくときも、そのグルーブの中で捉えられるように、ということをお願いした。そこから、音楽の要素を足していく。

こんなふうに考えてみるといいかな。

例えば白い画用紙に絵を描くとき、端から濃い色で完成された絵を描いていくのではなくて、画面全体にふわっとデッサンを描き、それに陰影をつけ、徐々に色を加えていって、景色を作っていく、みたいな動画がよくあるけれど、あんな感じ。

お二人とも発展プログラムを受けられた方たちなので、伝えたいことが非言語のこのドローイングで伝えられる。とにかく楽しい。

実際やってて面白かったのが、お二人に同じオスティナートスケッチ描いてもらったのだけれど、自分の楽器のリズムのは入り方が違うから、同じグルーブの中にいながら同じ体験をしてるわけではなかった、ってこと。演奏してもらった時、全体的な空間が生まれつつ、互いの空いた空間にストンとハマるリズムは、心地よいものになっていたと思う。

後日、ラインでコンサートの様子の動画が届いた。おお!
一緒にやった描くワークがこんなふうにふわっと開いていく、誰かのもとに届く。
その人のものになっていく。
うれしいなあと思う。

アンサンブルのワーク 面白い−!