あって損はない基礎の楽典・音楽理論。
感覚や体感と照らし合わせ
育てていく手助けになれば、と思い書いています。

理論なしで楽器を習うと・・・

今の一般的な音楽学習の方法は、理論は後回し、まずは楽器に触れてみよう・・・そしてずっと後回し・・・となるパターンが多いです。そういう場合、みなさんはどんな風に学習をしてるのか、というと

耳コピする
先生に楽譜を解読してもらって、一曲ずつ手とり足取りおしえてもらう。

で、そのうち何となく音符が読めるからいいか、的なところでやりくりする。

それは、楽器が弾きたい一心で、せっかく、学びたい思いもその努力もあるのに、もったいないです。
理論(音楽の仕組み)が自分の中に入っていないと、一回一回が積み上がらないので、いつまでも受け身で、その時だけになってしまいます。
キャンパスがない雪の上かなんかに絵を描いているようなものです。
時間が経つと流れて消えていってしまう。
そんな体験はないでしょうか?

私は中学生の頃そんな感じでした。
いや、大学へ行ってもずっとそんな感じでした。
学校で音楽理論の授業もあったのにね、全然つながってなかったんですねー。全然使えないってやつだったわけです。

で、話を戻しますが、そこ(理論がわからない)にひっかかりを感じておられる方もいて、自分なりに本とか買ってきて、読んだりするかもしれません。が、これが自学が難しく、逆に妙な固定概念になってしまう可能性もあります。あるいは、読めない。何書いているのだかさっぱりわからない。だから、うー!っとなって、こんなことやっていたら音楽が固まってしまう!理論じゃま!となってしまう。ということもあるかもしれない。

ムリもない話で、音楽理論て、頭だけではなくて、感覚的、体感的なところも一緒に腑に落ちてこないと、分からないものなんです。

ところが一方で、音楽理論って、音無しで、紙の上だけでもできてしまうパズル遊びみたいなところもあります。
で、分かった気になっている。

私が音大でやってたのが、そんなことでした。
だからわかっていないことすらわかっていなかった。
いや、教授がわるいのではない、私の脳みそのシナプスがつながってなかったということで。でも、多くの音大出身の皆さんも、もしや似たり寄ったりなのでは?と思っています。そして、毎日馬車馬のように、別のこととしてピアノを弾き散らかしていたのでありました。すごいもったいないことしていたなあと思います。

聴音最低クラス、の私でした。

余談になりますが、私は大学時代音楽理論は楽であまり苦労しませんでしたが、聞き取り(聴音)が苦手でした。苦手というか、たいへん危うかったです。それで、一番できの悪いクラスだったのですが、そこで教えていただいた先生がすばらしかった。徹底的に、カデンツ(和音の基本的システム)を身につけさせられました。その先生は見抜いておられたんですね、今から思えば。なにをって、音楽の仕組みがわかってないから、音が取れないんだってこと。いや、音が取れなくても仕組みがはいっていれば、あとあとのためになることを。今では本当に感謝しています。松田聖子がなぜヒットするのか、を楽曲分析で解読して楽しんでいるような先生でした。そして私は実感する音楽理論の基本をこの聴音の授業で学びました。

だから、仕組みが理解できる前と後、それから、仕組みの大切さが本当にわかってからの自分と音楽の関係の変化が分かります。だから、こうやっておすすめできるのです。なんだかありがちな押し売り商法みたいになってきました・・汗

学習のし初めは大変かもしれません。知識だけじゃなく、感覚も必要となると自分と向き合わないといけない、ということもあります。でも、やった甲斐は必ずあります。

何度も繰り返しますが、ここで言っている理論は 実感もともにします。くわえて、ソルフェージュ(理解していることをアウトプットして体験につなげる)も必要項目として含まれます。

でも出来るようになる、ことが目的ではなく、理解する、ということが 、目的です。実はここが要、と考えています。

だって、目的は、理論で100点とることじゃないですもんね。

そして本題。

音楽理論・楽典を身につけるメリット

音楽理論・楽典を身につけて、どうするか、ですね。どんな成果があるか。
自分なりに掴んだことは、こんな風に反映していくと思います。

  • 練習が楽になります。なぜかというと、やっていることが「見えて」くるからです。仕組みが助けてくれます。できない自分を責める回数がきっと減ってくるでしょう。
  • 自立した学習ができます。そうしたら先生とは、ミスを訂正しておわり、みたいなのではなく、音楽的に突っ込んだレッスンをしてもらえるようになるかもしれません。
  • 音楽の陰影や深みに、受け身ではなく体験的に近づけるようになります。

もう少し具体的な所では、こんなことがあると思います。

  • 音痴と思っていたけれど、音高の上がり下がりの法則がわかっていなかった。
  • リズム感が悪いと想っていたけれど、拍や拍子感にそもそも意識がなかった。
  • つっかえつっかえするのが、音楽の全体性がつかめることによって流れ始める

もちろん、時には馬車馬のようにただひたすら同じことを繰り返す練習も必要かもしれませんが、音楽と自分との関係を視点を変えて取り組むことが、新しい気付きにもなっていくはずです。

リズムと音高、ハーモニーといった 様ざまな音楽の情報を一つにより合わせて全体を作っていくのはこれまでは「誰か」で、自分自身はよい「模倣者」だったかもしれません。でも、音楽の仕組みと仲良くなっていくことは「自分の音楽を織り上げていく」ということです。

それ、なんです。私が一番にこれを推すのは。

自分の音楽を内側から導き出すこと。

あの、美しい音楽がなぜ美しいのか、それを語りつくすことはできません。分析することもできません。

だから、人は楽器を手にするのだと思うのですね。

ただ、音楽と共にありがたいがために。

理論は飾りではありません。音楽の背骨なんです。ショパンもビートルズもちゃんと理論に則って、音楽を生み出してきたはずなんです。それは、どこか雲の上のこと・・・と思わせてきたのは、おそらく、音楽教育の間違い。だれもが自分の音楽を手にすることができる、と私は信じていますし、音楽教育従事者はそこに心を砕くことが、大事なんだと思います。

音が3つほどもあれば、音楽は成り立ちます。そこにはすでに、輝くような音楽の結晶が含まれています。欲張らないで、一つ一つを慈しみながら育てていけるような、それが音楽という宇宙にきちんと組み込まれているのを実感できるような、そんな理論の提示の方法を、私達音楽関係者も模索するべきなんですよね。

共に学びあえたらいいなあと思います。

・・・

ということで、講座やレッスンのなかで、上に書いたような、理想の音楽講座を思い描き、部分的に行ってきている楽典をネットにあげて、体系的に伝えていく方法ができないかなと、いろいろ模索中です。これは、音楽を描く’講座と深くつながっていくものでもあるし、教室で生徒たちとやりとりをしていく中で大事なのは何かなあと苦労してきたものなんかの、集大成になってくといいなあと。そして、誰かの役に立っていけたら嬉しいなあ、と。がんばる。


「実感してすすむ楽典」講座を不定期に東京で開いています。
とかく無味乾燥になりがちな音楽理論ですが、ここでは血の通ったものになるように工夫を重ねています。
同時に「音楽を描く」講座も開催。


この記事を発信しているのは
utena music field .
山あいのちいさな音楽教室です。うてな(台・萼)は高台とか花のガクなどの意味。一人ひとりが見つける音楽の、その下支えをしたいというおもいからつけた名前です。また日々の試行錯誤の中から生まれた、drawingによって音楽と自分とを結んでいく講座「音楽を描く」なども開いています。
(管理人・itotohari38)

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