どこまでが心でどこまでが身体なんだろうか

猫のこげたは、美味しい缶詰ごはんを食べるとテンションが上がって、突然むーっ!とないて走り出す。そして、ふっと振り返って

「おーい!」となく。

相棒のきなこは天国。

以前のように、ベランダやロフトに上がって切ない声できなこを探すことはめっきり減ってきたけれど、不意をつくように、いないことを忘れて、こんなふうにおいで、となく。

なきはじめると、ずっとないている。

よしよしと、あたまをなでる。

私も、きなこを思い出す頻度は少しづつ減ってきているけれど、胸に空いた風穴はまだ塞がらない。

それはきっとこげたもおなじなんだろう。

かなしいとか、そういうのではない、これが一つの日常になってきている。

なにかがぽかんとたりないかんじ。

それがなにかさえ、わすれてしまいそうなのに

この”ぽかん”は実在していて、

ときどき 水琴窟の音のように心の 空洞をならす。

そういえば、子どもが1人家をでていくたびに、

おなじような”ぽかん”が 空洞を鳴らしたものだった。

図書館に向かう途中の電車の駅、いつも娘や息子の帰りを待っていた駐車場を横目に通り過ぎた時。

時々覗く、子供部屋。

あれは、単に心だけが 寂しいのではない気がする。

身体、というか、生命というか、

いとなみ、というか、

それまでの日常にあったものがなくなっても

自分のシステムの中に相手の存在は共に生き続けていて、

なのに、その実在がそこにいない、その、ちぐはぐさ。

そこに心が落ち込んでいったとき、寂しい、というのかもしれない。

どこまでが心で、どこまでが身体なんだろう、命なんだろうと思う。

そして、心も 身体も命も、自分も他者も どこか地続きで、混濁してある、

そんな世界があるような気がする。

 

 

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utena music field
ちいさな音楽教室から発信しているサイトです。

うてな(台・萼)は高台とか花のガクなどの意味。
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