一年で一番夜の長い日、が昨日だった。今朝あけて日に日に陽が長くなる。

教室では、いつの頃から毎年昼間の一番短いこの時期に、冬至の会というのをしている。クリスマスといってしまうと、宗教上の理由で参加できない子がいて、でも、忘年会、でもないし、それから何となく冬至ということになった。今は私にとっても1年のスパンを図る大切な行事となっている。昔から、冬至と夏至はなせかとても大切な経過ポイントという思いはあって、のことでもある。

100%の暗闇体験 ダイヤログイン・ザ・ダークを体験して冬至の会は、さらに変化していった。子どもたちにあの、暗闇だから感じることのできる触感や耳から伝わる世界の肌理を感じてほしい、そう思うようになり、そのためにできるだけ余計なものを取り払い、大事なものを残していくように心がけている。

今回は、語りをやっている友人に、子どもたちのためにお話をしてもらった。

みえないとうめいなはこ

があけられるとき、子どもたちはしんとしずまって、それがなんなのか、その中になにが入っているのか、ききみみをたてた。暗闇は静まっていたけれど、そこには、寒さと同時に熱があった。

これから一番寒くなるこの時期に、その先の春を予感させてくれるようなお話だった。

1年、という時間のサイズと、

1年を繰り返す、という時間のサイズ。

私はその1年を繰り返し、やっと50年という時間のスパンがどくらいのものなのか、生きてみて何となくわかったようなきがしている。

音楽、というそれに比べるとうんと短く濃い時間。

解き放たれている地球の時間の中で、この凝縮された 花のような時間も

おなじ時間の経過の中で生きている。

それ、を感じられるような生き方ができたらいいと思う。

奇しくもこの2017年の冬至に、大切な友人の親族が天に召され、私はその知らせを受けた時たまたま息子と歌合わせのために教会にいた。慣れない手つきで祈りを捧げた。祈りもまた、悠久の時間とつながっている。

そして今朝、別の友人から、いつものように長く心の伝わってくるメールをいただいた。

そう奇しくも、この日。

出来事もまた、時間の中に咲く花のようだ。

今日は、明日のために、また息子と教会にチェンバロ伴奏の練習に行き、息子を育ててくれた幼稚園の先生達に会う。折り重なり、つらなり、層をなす、時間。そして、今夜は高速を飛ばして故郷にむかうことになりそうだ。

生きていく、という時間。開いていく花と閉じてく花。よろこびも、くるしみも。繰り返す。

たくさんの人たちと、この折り重なる時間を生きている。共に。

 

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