ブログのカテゴリーを整理して、いくつか追加。楽典に関することと、音楽教室のこと、そして、出会っていく音楽のこと。

10年ほど前、ホームページを最初に立ち上げたのは、今のような講座や教室のインフォーメーションをしようと始めたのではなく、一つには自分の音楽とその教え方の研究のため、もう一つには、それ自体が一つの表現であった、ということだった。それをオープンにしていくことで 独りよがりではなく客観性もあるものにしていきたい、とそういう志ではじめたものだったが、そこで扱っていたスケッチを使った音楽レッスンが私の仕事となり、そのインフォメーションが必要となり、立ち上げた頃の、ネットのことなど何も知らず、誰が読むとかも気にすることなく、ただただ、記事を上げていくのが楽しかったあの最初の頃のスタンスからは、変わってきてしまっている。趣味(?)と実益が重なってくることのややこしさを抱えながら、今に至る。

その当時のサイトの紹介文をもう一度読み直してみた。以下がそのときのもの。

 

このサイトを読んでいただいて、音楽を学ぶ人、楽しむ人、教える人、憎む人、そして音楽を他人ごとと思う人にとって、なにがしかの発見があれば、とても嬉しいことです。

私の音楽との関わりは少し変わっているかもしれません。

これを普遍的で正しいと思って提示するにはオコガマシイ、と思ったのですが、この音楽観すべてが私の作品と思えばいいんだ、と思いついた時、ある種開き直りのようなものが生まれました。私はこの作品を世に生み出したい、その思いにしたがって、このサイトを立ち上げました。

ですからまずは作品と思って、眺めてみてください。そして、もし興味をお持ちでしたら是非に飛び込んでみて、あなたの作品へのインスピレーションにお使いください。 私一人のものでなく誰かの役に立つときに私の作品も報われるものと思っています。

私にとって、音楽教室を運営することは、私の中にずっとくすぶっている問い「音楽ってなんだろう」という問いと真っ向から向き合わざるをえない、ということでした。それは、音楽教室をもっと楽しく、とか、生徒に興味を持ってもらう方法、とか、そういうのではなくて、 もっと深いところで、教室のあり方そのものを見つめざるをえませんでした。

教室運営が問いを更に深め、問いが深まるにつれ教室のあり方も深まっていきました。

そうして、煮詰めに煮詰められてできているのが、そして現在進行形で生まれ続けているのが、この作品群なのです。

音楽をやる以上はどこまでも、音楽そのものでありたい。

音楽とは、私にとって、音、とは限らないのです。

力であり、コミュニケーションであり、孤独であり、言葉であり、空気であり、建築です。

・・・・この延長上に今があることに間違いはなくて、ただ、なにが違うって、人がそこに関わってきているということだと思う。

HPを立ち上げた頃、たまたまのことであるけれども、幼稚園の先生達のイベントで日比野克彦さんの講演に行って、とっても影響を受けた。社会の中に芸術が生きる仕組みをうみだすこと。そうだ!ささやかなりに、自分なりに音楽教室が社会の中で生きる意味みたいなのを、ちゃんと考えていこう、提案していこう、みたいなことを考えていたのだった。それが この頃のこの紹介文の「作品」ということばには含まれている。ここから出来事のほうに押されながら、仕事が立ち上がってきた、というのは、その思いが芽を出し始めているのに違いない。

けれど。

一般的なホームページと同じように、広報的な部分をここ2・3年は私なりに頑張ってきて、ある程度、かたちにはなってきた、これも一つの活動といえば活動。いろいろ思考錯誤してあれこれ試して、結局 手間暇のかかるwordpressにこだわってsiteを作っているのも、それが単に営業ではなく、伝え方として必要な手段と思ってのことだった。やっと、何となく運転して行けている感じにはなってきた。ただ、何か大事なものをこの2・3年でほったらかしにしてきてしまっている気がする。それに、講座の日誌などつけていて、どうしても一回一回の講座の唯一のその時間を切り貼りしたような記事を書かざるをえない、参加される方の体験にそれは関わってはいかないだろうか。そっとしておきたいものを無理に形にしようとしなければならないし、言葉にできないものを、ことばにしていく、歯がゆさ。伝えなきゃと思って逆に硬直していってるような気もする。自分一人で好き勝手やってくのとこんなに勝手が違って大変なことだったのね。改めて、じゃあ、自分の言っていた作品ってなに?芸術って起業することなん?なーんか少し違ってきてしまっていないか?何より枯渇していっている自分に危機感を感じるな。

そんなことを考えるのは、ほんの少し、自分を振り返ってみる余裕ができてきたのかもしれない。それで、もう一度自分がどんなサイトにしたいのか、今までのことを振り返ってみた。なにか新しいことを始めようというのではなく、初心に戻って。でも、この何年かのプロセスを踏まえた上で。

できる、分かっている、知っている立場だけからモノを考えたり言うのではなく、分からない、知らない、できない、そこの立場に一緒に立てるような、そういう努力をしてみたいと思う。あの頃できなくて、今ならできることはきっとそういうことなんじゃないかと。講座をやってきて見えてきたことは、音楽教室が向いている方向と、普通の生活の中に必要とされている音楽のずれでもあった。私が肌で感じる限り、一般的にニーズと言われている「上達の極意」よりももっと深い所で 音楽は必要とされているとおもう。この肌で感じるものに従ってみたい。できない→極意で上達 これに乗っかった仕事になりそうなことには常に危機感がある。できない、しらない、その未知数のすばらしさというか。案外、一番大事なものは自分の足元に転がってるかもしれなくて、それが理想論ではなくて、一つの現実として。私自身もそういうところにたってものを考えていきたいと思っている。私はだから 感覚をそだてることを大切にしたいと思っている。

それで、追加したもの。

ジャンル横断music・・自分の好みを出していくのは違う、というのは何となくずっと思ってきたことだった。それぞれに好きな音楽があって当然だし、そこには必然性がきっとある。好みやクオリティだけで語れないのが音楽、と思っているから。それで、出会ってきた音楽を折りに触れ、アップしていくことにした。ジャンル不問の音楽談義。私は実はそんなに音楽を聞いていっぱい知っているようなタイプではなくて、1年モーツァルトだったら、それが数曲毎日弾けたら十分、という人間なので、うんちくを語るつもりもないけれど、いろんな音楽を並列させて眺めてみるのは面白いかな、と思う。

楽典・ソルフェージュ・・・ホームページに楽典という言葉を載せるようになって幾つもの反応があり、そうして気がついたののは、もしかしたら、これを必要としている人は思っている以上に多いのかもしれないということ。ただ、難しい、自分ではできない、という声も。これは音楽を描くでも同じだけれども、実感のところを大切にしながら、音楽の初動のところをずっと掘り下げていきたいと思っている。「実感して学ぶ楽典」講座でやっていることを、きちんと論理の構築をしていかなければ、という思いもあって、それを記事に上げていって見るのは、きっと私自身にいま必要なことでもある。それは結局私自身にとっても、音楽教育に携わっている人にも、もう一度(と言わず何度でも)振り返ってみるべきテーマではないのかな。音楽の始まりの出来事を常に新鮮に保っていたい。内容は楽典半分ソルフェージュ半分というところになる。それに、歴史や、人間の感覚や身体のこともつながってくる。音楽はいつから始めてもちゃんと積み上げられるし、そのためには、何よりも音楽を知ること、体験的に。私はこの地道さを応援したい。

がんばれ零細音楽教室・・・自分の音楽を大切にしたい、それが、結局生徒にとっても誠実であることになるだろう、と思っている、先生たちも世の中にはたくさんいるはず。みな、地味に頑張っている。では、どうしたら、それが独りよがりないならないで、ちゃんと積み上げられるものになっていくのか。人と音楽との両方が見えている音楽教室でありたいとおもう。30年続けてみて、見えてきたことや、未だわからないことや、自分の限界や、失敗なども。

ただ凝り性でもうどうしようもないタチなのだけれども、それでも自分のいいところがあるとするなら、ものを感じたり考えたりする時、音楽を構築するとき、いつも、最終的には何かに頼ることをしてこなかったことだと思う。自分がどんなに拙いとわかっていても。コピーを作っても仕方ない。そうして出来上がっていった 構築物だけではなく、(例えば音楽を描くという講座)そのとき試行錯誤していくプロセスの方にも二重作動のようにみのりをうんできているのかもしれない。それを可視化してくことのほうが、私もきっと楽しいし、講座も未来に開けたものになっていくのではないかと思う。

こちらにHPをきちんと立ち上げて2年足らず、それでも、きちんと成長してくれているのがありがたい。いつも手を入れて、もごもごと動いているHPだ。私の無理のない居心地のよい、そして、来る人も居心地の良いHPになるように、これからも私は続けていくつもり。そしてこれからまた何年かかるかな。今のこの一歩が実るのに。楽しみに続けてみようと思う。

 


写真は今日見つけた河原。

こんな岸辺は、このあたりでは珍しくなってきている。どこも護岸工事で綺麗にされてしまって。