音と空間(警蹕)

警蹕についてあれこれ調べながら、「音」にとって切っても切れない関係の「空間」のことについて思いは広がっていく。音を生業とする私たちは一体どのくらい、この密接な関係を理解しているのだろうか、と。

警蹕・・けいひつ、と読む。

神様がお通りするときに、神職が「おおー」と響く声で周りにそのことを知らせ、周囲の者はその声をきいて、頭を下げる。ご神体を移動させる時などに発せられるものであるらしい。

母音の「お」は口を筒のようにすればよく響く。それを自然な息の強弱で緩やかな放物線を描くように長くのばす。それを複数の人達で呼び交わす。

声によって空間が切り開かれ、ご神体が通る。

古い時代 からの習わしであるこの警蹕の声は空間を切り分ける役目を持ってる。

それにつられて思い出したのは、田舎の祭りのこと。私の育った愛媛の山奥では秋祭りになると、棕櫚で身を包んだ恐竜のような大きな「牛鬼」が神輿のように担がれ、その声を連想させる竹に穴を開けただけの素朴な笛が「ぼー」「ぼー」と唸りをあげていた。それは子どもにとっても恐ろしく、そして神聖なものであった。音が地を清める、という感性は、幼い自分にも分かるものだったのだ。

そこには、音で満たされ、音で区切られた空間がある。

現代においても、声楽や合唱など歌をうたう人にとって、響きは演奏の重要な要素で、普段からとても大切に扱い、常に空間と向き合っている。けれど、他の楽器をする人にとって、時にそれはぞんざいに扱われるか、忘れられてはいないだろうか、と思う。ピアノにおいてはさらに。

ピアノを教える教材やノウハウはいくつもあるけれど、空間について大切にされているものは極めて少ないのではないかと思う。それはとりあえずそんなことを考えなくても、ピアノは弾けるようになるから。

けれど音楽というもっと広い領域も視野にいれて学びたい、教えたい、と感じた時、「空間」はとても重要なものであるはず。響きを知っている演奏は空間のある演奏になる。

警蹕や祭りの音などが日常の隣にあった日本、そこに暮らす私達の遺伝子には、この音の満たす空間を知覚する感覚がきっと残っているに違いないと思う。音と空間の切っても切れない関係はおそらく世界共通。もちろん、クラシック音楽を学ぶ上でも。

なのに、西洋の音楽を学ぶ時、どこかでそれを置いてけぼりにしてきてしまっているのかもしれない。それがなぜなのか、どうすればそこを結び合わせることができるのか、それをずっと追いかけている。

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