ビルマの竪琴

 

今から思えば、ビルマの竪琴は、初めてふれたファンタジーだった。

ビルマ(ミャンマー)は私の祖父が戦死したとされているところで、多分、それで この本が家にあったのだろうと思う。私も祖父の話はよく聞かされていたから、ビルマという国のこの話は少しだけ特別な存在だった。
思い出したのはきっと、アジアらしく、日に日に夏が近づいて来るこのところの気配のせいだ。
絵本はもちろんもう手元にはないから、記憶は殆ど、大人になってみた 古い方の白黒映画「ビルマの竪琴」の方にすり替わっているかもしれないけれど・・・

ファンタジー というのは、へんだろうか? ファンタジーと言えば魔法の国のことやありえない空想の世界での冒険のお話、というのが一般的なのかもしれないんだけれども、ただ、私にとってのファンタジーは・・というか多分、古い系譜 をたどれば・・・現実と皮膚一枚で隔たれた内面世界、それも、理屈や分析ではとても理解できない心の奥深いところをを比喩的な世界に映しだすようなものなのじゃないかなと思っている。私にとっては見たことのない祖父との対話を続けさせてくれた、不思議な物語だったのだ。

改めて調べてみたら、原作者の竹山道雄は ドイツ文学/哲学の領域の人だった。ゲーテ・ニーチェの翻訳・・・シュバイツァーを日本に紹介したのも彼。何を思って、この寓話を書いたかを知る良しもないけれど、どこかで納得している自分がいる。いつも不思議な事に、1人の人の読む本は、なにがしかつながっていて、本が呼ぶのか人の内面が呼ぶのか、その両方なのかなと思ったりする。もうほぼ半世紀分の読書歴か・・(年取ったね)

そして、今だから改めてこの物語から考えさせられるのは 音楽のこと。

歌を愛する隊長のもと、日々歌いながら務める軍隊、その中でも特に竪琴を奏でていた水島という兵士。

けれど、戦争という過激な日常の中にあり、戦況はどんどんと追い込まれ、部隊とはぐれた水島はたった一人、戦争で亡くなった累々と横たわる死体を目の当たりに見てしまう。そこから水島の苦がはじまる。

兵士たちは歌いながら水島を待っていた。

そして帰国する前日に、水島は竪琴を持って現れ、埴生の宿をかき鳴らす。彼は皆と一緒に帰るために現れたのではなく、別れを告げるために姿を現したのだった・・・・・

 

戦争、と、音楽。

 

音楽は社会に何かできるだろうか?音楽は人を救えるだろうか?この隊長さんには共感しながらも、私はどこかこれが寓話であることもよく知ってしまっている。だったら、これは薄っぺらな子ども向けのお話なんだろうか?そうとも思わない。隊長さんはそのまま日向をむいていてほしいとおもう。

そして、水島に音楽があったことと、多くの死者を残して日本に帰れなかったことが私にはどこかでつながっているように思えるのだ。だったら音楽はむしろ彼を苦しめたのだろうか。そうだと思う。

けれど、私はだからこそ、音楽は人に寄り添いながら、世に存在すべきものなんだと思うんだ。人に痛みがあれば、世の中は荒廃はしない。

私は音楽には人を高みに上げる力と、人の低いところまで降りてきて寄り添うちからの両方がある、と思っている。

この二人の兵士を改めて見つめ直してみた時、その対比を見つめた時、確かにそれはアポロンとデュオニソスのような、両極性であったのだろうけれど、高み、低みと言った時、じゃあどちらがどちら、といえないことにはっとする。


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