音楽は人の似姿

音楽ってなんだろう?
という問いがずーっと心の奥から消えないで、なんでこんなにそんなことばっかり考えるのか自分でもさっぱりわからないんだけれども、もうどこか自分の一部のように思えてきている今日このごろ。

やっと、腑に落ちる答えを見つけた。
音楽ってのは人の似姿なのよ、という答え。

問いは、正解を求めているのではなくて、(音楽って何?というのに正解があったら困る)ただただ、問いが問を生むことによって、その意味を深めていくような、そんなスパイラルな方向で一生遊んでいたらいいだろうと思っていたのだけれど、ふいに、この”人の似姿”という一つの答えに行き当たってしまって、何処か私はもう、すごく満足している。

生命システムとしての身体は宇宙や自然に連なり、感情、思考、構築性、といった人に与えられた余物を駆使し、人が時間の中に生み出していくもの。物体を持たない、生命だから、心という所在のない実在にまで届く。心臓を持ち、感情を持ち、空間に広がり、人のなかにあまねく浸透する。

古代ギリシャの考え方、3つの音楽。宇宙と身体と音による音楽と。

その昔、神様は自分の姿に似せて、人をお作りになった・・らしい。

人はその神様の所作を真似、人の似姿の音楽を生む。

これはなかなかに面白いぞと思う。

音楽が荒廃すれば人も荒廃する。
人が深く踏み込めば、音楽は深く応える。
感覚という乗り物の、バロメーターだ。

音楽が人を癒やすというけれども、一方で音楽は人を統制することだってできる。コントロールするために使われることだってある。
音楽が人をつなぐというけれども、好みや民族の違いによって、人と人を隔てることだって特別なことでなく普通にある。
だから私は、音楽がいつも素晴らしい、などという幻想は持たない。
そのあたりも、似姿だからね。

けれど、だからこそ、
音楽する感覚へ分け入っていくこと、感覚を押し広げていくことの
意義を思うのだ。

クオリティでなく、芸術性でもなく、感覚。

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