遊びとしてはじまるのではなく、遊びの中に(ホモ・ルーデンス2)

あそび。一生涯あそびとしての音楽。

ああ、遊び、といってももちろん人によって捉え方はいろいろなはずだから、そんなことを言ったって、何も言ってないのと同じかもしれないなあ。もう一つ伝える努力が必要ね。

ホモ・ルーデンスを書いたホイジンガは、こう書いている。

すべての神秘的、呪術的なもの、英雄的なもの、芸術的なもの、論理的なもの、造形的なものは、気高い遊びの中に形式と表現を探り求めている。文化は遊びとしてはじまるのでもなく、遊びからはじまるのでもない。遊びのなかにはじまるのだ。

そう、それ。

これを、わらべ唄、に置き換えてみる。

音楽はわらべ唄としてはじまるのでもなく、わらべ唄からはじまるのでもなく、わらべうたのなかに、はじまる。

わかってもらえるかな、この細やかなニュアンスの違い。

いつも私の焦がれる、人と音楽の出会うその現場。

それはわらべうただけのことではなくて、

例えば4分音符の並んで生まれるリズムにはじめてであったとき、

2分音符の放物線を自分の心にも描けた時、

スタッカート。

一つと半の休符を音楽的に奏でられた時。

和声、対位法、一人のなか、大勢の中、ソナタ、ロックのリズム、ボサノヴァのゆるゆる。

それはなにがしかの目的を持って生まれるわけではない。

驚きであり、懐かしい出会いであり、

人としての欠落した大きな穴を埋めるのに不可欠な、

あそび。

だから、音楽教室は、一生涯、出会い、に出会いつづける。

素敵な商売じゃないですか。


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ホモ・ルーデンス


写真は  グリーンボール、とかそんな名前で売られていた気がしますが・・オオデマリより小ぶり。アメリカテマリシモツケ、というのに近いのだろうか?

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