大村はまさん96歳の仕事

大村はまさん

裾を持ちなさい

国語教師だった大村はまさんの話のなかにこんなのがありました。
なかなかねまきの浴衣がたためなかった幼いはまさんに、傍を通ったお母さんが
「裾を持ちなさい」と、それだけ声をかけて通り過ぎた、それをきいて縫い目の通ったところの裾を持ったところ、美しく畳むことができた。

はまさんは、それで「ちゃんと畳みなさい」という言い方をせずに、「裾を持ちなさい」と言えるような教師でありたいと思っている。

「姿勢を良くしなさい」「なんとかしなさい」ではなくて、自然にそうなっていくようにする。

「だめですよ」でやめては教師はだめなんだ。と。

この話は本の中ではもっと丁寧な描写で語られているのですが、もし気になるかたがいたら是非本文を読んでください。

具体的に伝えるということ、だとも言えると思うのですが、「具体的」がなにか、ということはなかなか簡単ではない、と思います。私にとって大村はまさんはとても大きな存在で、折にふれて、何度も読み返す本です。なんで読みなおすかというと、しばらく読まないと、自分の中で焦点がぼけていってしまうから。そして読む度に、ああ、そうだった、と思う。

音楽を描く’ の意図するもの

私がライフワークとしている「音楽を描く」のはじまりも、「拍をちゃんと数えなさい」ではない、もっと実際に即した方法を探して見つけたものでした。これらのはまさんのはなしはずっと心のなかに残っていて、ずっとずっと私の中で作用していたと思います。

なぜ「ちゃんと畳みなさい」ではいけないのか。これを生活の中、音楽をやっている私はそのレッスンの中で具体的にどのように生かすか。「ちゃんと畳みなさい」は何で「裾を持ちなさい」が何か、がわからないと応用ができないから、何度も読みなおすのです。

もう一つ。

たくさんの先生に良い評価をもらっていたある授業の話、けれどはま先生は、それを良しとは思えなかった。授業はこんな感じです。

手紙を書くという国語の授業の中で、生徒が先生の指導によって何か書き足りないものを思いついて、それを書きだし、先生に「これはどこに入れたらいいんですか」と尋ねる。そうしたら、先生は「それはこのいい頭が考えるのよ」といい、子どもも「いい頭」というのが嬉しそうだった。みなそれを素晴らしいと言っている。

ところがこれをはま先生は「教師としてなにもおしえてない」というのです。いい頭なんて洒落たことを言うよりもっと大事なことがある、ということですね。これを素晴らしいとおもう教師の多いことを怒り、憂いていました。

はま先生は、

「それはね、全部で文章はこうなの」「一段目のあとへいれたらどう?いやいや、おしまいだっていいんだけれどね。おしまいの段落にそれ入れたらいいかもしれないね。もう少し考えてみる?」

それから「どうするかはこのいい頭が考えるのよ」といえばいい。と。

そう、国語の教師ですから。

音楽を教える人間も、いえ、それだけでなくて、いろんなところで、こんなふうに会話ができたら、 世の中ってもっと全然違う様相になるのではないかしらと思います。そう、たとえば音楽に関わる人だったなら、音楽のこと、こんなふうにきちんと中身に分け入っていけるだけの具体性が見えていなければ、ということ。それがプロでしょう?と。

がんばれとか、よく頑張ったねとか綺麗にできたね、じゃ何も教えてないってことね。

ああ、それで思い出しました。うちの娘。

小さい頃から抽象的な言い回しがダメで「片付けなさい」というと分からない、「本を棚の上に、靴下を洗濯カゴに」・・・ひとつひとつ言わないとわからないのです。

ああいちいちめんどくさい子だと思っていました。でも、物事を十把一絡げにしてしまうところがる私ですが、この娘と暮らすことで一つ一つの物事の質感のようなものを感じることが出来るようになっていったように思います。この実質感が出来上がりよりも大事な何かを世の中にもたらすのではないか、私はそんなことも考えます。

 

これは96歳の折、愛媛は三津浜での授業のことがたくさんのっています。

教師大村はま96歳の仕事

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