子どもはことばをからだで覚える

夾竹桃の花

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子どもはことばをからだで覚える―メロディから意味の世界へ (中公新書)
正高 信男
中央公論新社
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子どもというのは、大人のミニチュアではない。赤ちゃんは言語でものを捉えたりしない。

赤ちゃんはただ寝っ転がっているけれど、言語の「意味」が入り込んでくる以前のフィールドで、

風にそよぐカーテンや、お母さんの声を、この本の言葉を借りれば

「メロディ」として、感じでいる。

そうか、それがメロディか、と思うと納得。

utena music roomでのおやこおとあそびでは、素朴すぎるくらい素朴な歌を、何度も繰り返す。お母さんが体で覚えるその抑揚を、子どもはただただ、食事のように飲み込んでいく。

理解したかどうか、出来るかどうか、を子どもたちに問うことはない。

そういうこと、理解や、できた実感、が大事になってくるのはもっとずっとあとの話で、成長というのはほっておいてもシステマティックにその時期がやってくるから、ことさらその時間の針を先へ進めたりはしなくても大丈夫。大丈夫というか、時間の針を先へ進めすぎると、「メロディ」の世界にいる幼子はその世界から受け取るべきものを見失い、限られた世界の中で戦っていかなければならなくなるかもしれないのだ。

大人は、どうだろう、とふと思う。

大人は、もう一度あの、「メロディ」の世界へ戻れるだろうか、と。

音楽はその「メロディ」の世界から、言語を頼らず、ある”意味”を立ち上げる。

ああ、もちろん音の名前を同定する以前のフィールドで、音楽というのは、時間の中に多層的な、それでいて統一した何かを訴えている。時には、言葉以上の構築性や、整合性に圧倒されることもある。

大人のスケッチワークで何かを「取り戻していく」感覚を持つ人も多い。

それは、言語や、勝ち負けの世界のずっと以前、人がかならず持っていたはず、持っているはずの、その「メロディ」の世界へとどりつく、良いワークが出来た時なのかなと思う。

・・・・・そうか、それで音楽ってのはいつもなにか懐かしいんだな。

(2015/7/26)

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