恥ずかしい、という新鮮な気持ち

個人レッスンでの出来事。
今日やったことの仕上げ、ということで、ピアノでやった楽曲を弾いて頂いたとき、最初はたどたどしかったのですが、ある一瞬、しっかりとDT(ドミナント・トニック)への移行が実質感ある音がなり、おお、と思いました。ピアノは縦に落とす動作が邪魔をしてなかなか音ー音の連なりを実感できないものですが、その一瞬はうねるような音の流れがはっきりきこえたのでした。

で、「もう一回やってみる?」

と尋ねると

「いや。恥ずかしいわ。」

とおっしゃる。

以前にも初心者のかたで、線を引くだけで恥ずかしい、とおっしゃっていた方がいて、これは、なんかあるなあ、と思いました。

そう言わずに、とか、言いそうになるのをぐっとこらえ、その日は終わり。

その方は、「なんで恥ずかしいと思ったか」をそのレッスンの後に考えたのだとか。(こういう内省もワークの一環です。)

伺った話を要約すると、

”音を味わって演奏しようとしたら、うんと体ごと動いてしまう。でも、そうしたい、でもそれが恥ずかしい”

ということ。その時の動きは理にかなったものでしたが、思った以上の体感があったのか、そんな風にかんじられた、と。演奏するひとの体が動くわけがわかった!とおっしゃっていました。そういうのは私からすると逆に新鮮ですねー。いい。

恥ずかしい、というのはなにがしか葛藤があるということで、内的に動いてくるものと、客観的にそれを判断している自分がいる、ということなのかもしれないですね。

家に帰ってリコーダーで一人でその体感を楽しんだ、とかで、とても いいなあ、と。

 

 

 

この記事を書いている人の
音楽ワークショップ「音楽を描く」は
こちら→ です。